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エンジン換装記E
赤レガが、やっと治って帰って来ました。



2001.3.20にエンジンが燃えて不動車になった赤レガですが、エンジンがGC8C−WRX(STI用ではありませんが)になって手元に戻って来ました。
前述の通り、今回は全面的に草加市の盛田自動車さんにエンジンルーム内部の補修からエンジン載せ換えまでを一任しました。
スバル車は面倒だったようで、私も毎週のように工場に通いました。

エンジン交換込みの修理代はBF−GTが1台買える金額(勿論、現在の相場値)だったのですが、車両保険で半分ほど補填されたので、出費も何とかなりました。
草加市から春日部市への帰宅は、エンジン回転を3000回転以下に抑えて慎重に来ました。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)〜克服まで

赤レガが帰ってきて嬉しいはずだったのですが、いざ運転席に座ると動悸が激しくなる・汗をかく・手が震える・足が震えるなどの症状が出てきました。
燃えたときの恐怖心が頭をよぎり、運転できない状態になってしまいました。

医学的に言うとPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。
ちなみにPTSDは、外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。
2001.7までの間、友達(なおきさん)にわざわざ来ていただいて、ECUも調整してもらったり、自分で必要な修理箇所も全て終わっていたのですが、どうしても動かす気になれません。
そのために、暫く赤レガはエンジンを掛けて暖気するだけでした。

友達が遊びに来てくれたときに、動かしてみたのですが、ボンネットから白煙(パワポンの交換のときのこぼれたクーラント+巻きなおしたバンテージの初期焼け)が出て、またPTSD。 ここでまた、赤レガを降りようという思いが出てきました。

このままではいけないと思っていた矢先、妻も心配したらしく、ドライブでも行ってこれば?というので思い切って日光まで行く事にしたのが9月。
やはり、症状がでてはいますが、家族も乗っていることだし、冷静に冷静に...
そして、家族で牧場や自然と親しみながら、赤レガに慣れていったのです。
そして、その帰りには気持ち的にも収まりつつありました。


むかし、マシン・ハヤブサで、主人公がハヤブサV3エンジンの試運転の時に、不調域の克服するストーリー(第11話)がありました(V3エンジンには不調域があり、13000回転に達すると、ジェット噴射の色が黒煙を含んだ赤い炎を噴射し、異常振動が発生する。この時点でエンジンの回転数を落とすとエンジンが爆発してしまう。つまり、アクセルを踏まないといけない!)が、なんか気持ち的に重なってしまいました。
そして、それを克服したときの安堵感。本当に治して良かったと思います。

いまふりかえると、自分のPTSDは軽度のものだったため、このような逆療法も可能だったのではと自己分析しています。