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プリンス自動車、成長期〜画期的な車両


スカイライン・スポーツ/R21型

プリンスは、初代スカイライン&グロリアの主要コンポーネンツを使用して、 ラグジュアリーカーを企画した。
当時、プリンスの技術力は各メーカーよりも先じていたが、ボディデザインに 関しては、各メーカーが欧米車を模倣していたのと同じ方法を取っており、 その中で全長・全幅を日本の規格に合わせようとしたため、寸詰まりのようなデザイン となってしまっていた。
そこで、プリンスはイタリアのカロッツェリアにボディデザインを依頼したの である。プリンス社内でいろいろと検討した結果、ミケロッティに託されるこ ととなった。また、コーチワークはカロッツェリア・アレマーノが担当すること となり、昭和34年(1959年)6月にスカイライン1900のシャーシー&エンジン は海を渡りイタリアはトリノへと向かった。
昭和35年(1960年)11月、第42回トリノショーに2台のプロトタイプが展示された。 オープンタイプとクーペの2種類が「スカイライン・スポーツR21」として世に送り 出されたのである。
その後、この2台は日本へ送られ翌年(1961年)3月にプレス発表、同年10月の 第8回全日本自動車ショーで正式にデビューし、昭和62年4月から発売された。 価格はオーブン(コンバーティブル)が195万円/クーペが185万円と高価であった ため商業的には成功したとは言えなかったが、その存在感はプリンスが企画し 本場イタリアのデザイナーによる最初の日本車としてエポックメーキングな存在 であろう。


グロリア・スーパー6/S41型

次にプリンスが送り出したのが、昭和37年(1962年)発表のグロリアS40D−1型 で、エンジン&メカニズムはBLSIP型を引き継ぐが、フラットデッキスタイル というエッジラインをモールディングで取り巻いたのが特徴(コルベアスタイル)である。
この2代目がセンセーショナルを起こしたのが昭和38年(1963年)に追加設定された グロリア・スーパー6である。その名の通りSOHC6気筒エンジンは国産乗用車初 という快挙を成し遂げた。最高出力105馬力という絶対性能を持ち合わせながら静粛性 をセールスポイントとして好評を得た。

このスーパー6は、VIPカーとしてだけではなく昭和39年(1964年)に行われた第2回 日本グランプリにおいてT−Yレースで総合優勝を勝ち取った。また、このエン ジンを流用したのが「羊の皮を被った狼」スカイラインGTである。


スカイライン1500/S50D−1型

2代目スカイラインは、昭和38年(1963年)11月1500ccでデビューした。全長4100mmのボディ はフルモノコック構造となり、リヤサスペンションもド・ディオン式からオーソドックスな リーフリジットに改められた。
この車は、国産車で初めてメンテナンスフリーエンジンとし、3万キロ無給油 シャーシーなどのアイディアが盛り込まれていた。
また、レースを意識したかは定かではないがスポーツキットが設定され、フロアシフト(4速)・ タコメーター・ノンスリなどがオプションとなっていた。

一方、日本のレース産業の幕開けとなる「第1回日本グランプリ」が昭和38年5月に 開催された。クラスは国際スポーツカークラス(フェラーリ・ポルシェ・ロータスなど)、 国内スポーツカークラス(スカイラインスポーツ・フェアレディSP310・MGB?)、 ツーリングカークラス(コロナ・ヒルマン・ボクスホールなど)の3つに分けられていた。
第1回日本グランプリはメーカーが直接タッチしないという申し合わせ があったため、プリンスは真面目に守りユーザーのバックアップに徹しており、結果 として惨敗を期した。これがプリンス自動車の営業成績に影響を与えたので、レース 直後より根本的な体制の見直しに着手した。
そして、S41グロリアとS50スカイライン1500のレーシング仕様が作られたので ある。このプロジェクトでは、S50スカイラインに1900ccエンジン(G2型)を搭載 された仕様も製作され、テスト結果がよかったところからS41グロリア用2000ccエンジン(G7型) を載せることが決定され、誕生したのがスカイラインGT(S54−1型)であった。


スカイラインGT

スカイライン1500のホイールベースを155mm・全長を200mm延長してグロリア・スーパー6のG7型6気筒 SOHCエンジン+ウェーバ3連キャブ+タコ足を押し込み、ホモロゲを取るため急遽100台 が生産された。シャーシーはS50D−1とほぼ同じだが前輪にディスクブレーキが奢られ、リヤサスペンション にはバタつきを抑えるためのトルクロッドが装着されていた。
最高出力は125ps/5600rpmを誇り、最高速度は180km/h、0〜400mのタイムは17.8秒であった。
そして第2回日本グランプリGT−Uクラスに送り込まれたのである。

参考文献:ネコパブリッシング「JAPANESE HISTORIC」
:グランプリ出版「自動車の世界史」ほか
資料協力:Air Modellers Club コックピット
写 真:(社)自動車工業会自動車図書館