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普通乗用試作車「P−1」を作ったが、当時の設備では量産までは生産設備や販売網が整っていなかったため、軽自動車からスタートすることとなった。
それがスバル360である。国民車構想にマッチさせながらP−1のノウハウを活かしたモノコック・ボディに独自の空冷360ccエンジンを載せた愛嬌あるスタイルは、大ヒットとなった。
スバル360は初代標準車(出目金)からスタートして、マイナーチェンジを図りながら、メカニズムを充実させていった。
サスペンションの改良から、ボディ形状を変更したコンバーティブルや商用に使うコマーシャル。もっと商用を目指してのバン(カスタム)の追加、そして極めつけは当時の軽ハイパワーに準じる「ヤングS」および「ヤングSS」の追加などである。
後継車種のR2にバトンタッチするまで、11年間作られた名車である(R2発売後も併売されていたのは知る人ぞ知る)。
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モノコックモデル |
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横綱吉葉山がオーナー |
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海外に輸出(スバル450) |
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コンバーティブル |
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コマーシャル |
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カスタム |
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スバル360をベースとして1961年2月に初代サンバーが登場。当時は斬新なキャブオーバー・スタイルのRR車である。
軽3輪(ダイハツミゼットやマツダR360)から時代は軽4輪トラックへとニーズが移行していったときにサンバーが生まれたのである。
1961年9月にはワンボックスのライトバンが追加され順調な売れ行きの中、1966年1月に2代目に移行。
私は、この2代目の印象が特に強く残っている。内面的なマイナーチェンジはスバル360同様に誠意的に行なわれたが、やはり印象深いのはドアが後ろヒンジから前ヒンジになったことだろうか。
それだけでも強烈なインパクトがあったことが脳裏に残っている(ババーンサンバーと言われた)。
3代目は「剛力サンバー」。確かに強そうな顔です。モデルチェンジを機に水冷エンジンを搭載したこのモデルは頑丈さを売り文句としてCMキャラクターには貴ノ花を起用した。
4代目には待望の4WDも追加。「軽でも雪国はスバル」というイメージが固定された1台といえるであろう(仙台でも、郵便車などは全てサンバーだった)。
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初代サンバートラック |
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初代サンバーバン |
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2代目サンバー |
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2代目マイナー後 |
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2代目ババーン |
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3代目剛力 |
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