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日本で2番目に作られたのはロングコースの「富士スピードウェイ」



富士インターナショナルスピードウェイ(FISCO)は1965年12月に竣工し、1966年に開業した。
開業当初は1.5kmというグランドスタンド前のストレートと、30度バンクを持つ右回り6kmのフルコース。バンクを使わない左回り4.3kmのショートコースをレースによって使い分けており、1976年と1977年にはフォーミュラワン(F1)も開催された。

しかし、目玉であった30度バンクは別名「魔の30度バンク」とも言われていた。ホームストレートを通過したクルマは直線で300km/hから120km/hまで減速してコーナーに進入、その後は“須走り落とし”といわれる急坂のため、数々のアクシデントも発生したのである。
1973年1月には中野選手、1974年には風戸・鈴木両選手が事故により亡くなったこともあり、バンクは閉鎖され迂回コースに改善された。

その後、2000年にトヨタ自動車が富士スピードウェイを買収。大規模な改修を行い2005年2月にリニューアルされ、2007年より「F1グランプリ」が鈴鹿から富士に舞台を移して行われるようになる。

私がFISCOを訪れたのは、平成になってから。
といってもコースを走るわけでもなく、先輩とレース場の練習走行を見に行ったときである。
コースでは、日産ザウルスが練習走行をしていた。甲高い音が気持ちよく聞こえ、胸が高鳴った思い出がある。
また、そのときに見にいったのが、30度パンク跡であった。
既に使われなくなってから30年が経った元コースは、舗装も荒れ、雑草も茂ってはいたが、紛れもないあの夢にまで見たバンクであった。
思わず立ってみたが斜面は急で、まともに垂直に立つことができなかった(今だから時効であるが、その後、筑波でも自動車試験場に日曜日の朝に入ってバンクに立ったときも同じであった)。
ちなみに、
このバンク跡地はメモリアルパークとして保存されるようになったようである。

FISCO(富士スピードウェイの愛称)で、私が一番記憶に残っているのは、やはりグランチャン(グランドチャンピオンシリーズ=GC)の柳田Zや、シルエットフォーミュラ・レース(グループ5)である。



当時は、高橋国光・長谷見昌弘・星野一義・寺田陽次郎などが凌ぎを削っており、自動車雑誌などを買いあさって、将来はレーサーになりたいと思ったものであった。