メーカー名 |
レースへの対応状況 |
トヨタ |
苦戦が予想されたクラウンは「S」というツインキャブ装着車を出し、パワーアップを図った。
また、第1回とほぼ同じような体制、サービス支援グループをつくりレース車両を製作、ポート研磨や耐久性重視セッティングを施しレースに臨んだのである。
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ニッサン |
第1回における反響が高かったので、正式にブルーバード1200SS(410)・フェアレディ1500とレース直前にセドリックを競技車両として投入した。
また、社内体制の整備と、田中健二郎、鈴木誠一(後に東名自動車を設立)ら2輪トップライダーを集めた。
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プリンス |
第1回においてプライベーターのサポーターに徹して惨敗となった同社は、全社一丸となりレースに取り組むことになった。
1963年秋にレースチームを10名編成とし、契約ドライバーとなった生沢徹と社内ドライバー3名とともに競技車両の開発を始めた。
このとき、2代目グロリアに6気筒SOHCエンジンを積んだスーパー6と2代目スカイライン1500が発売されていたこともあり、走行性能も十分であったためこれをベースに開発することになった。
また、改造範囲の広いGTクラスへの参戦することになり、スカイラインのホイールベースを延長しグロリアの6気筒エンジンを搭載したスカイラインGTを製作しホモロゲを獲得した。
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いすゞ |
ISCCの誕生を機にユーザー主体のチームを作り、パーツの市販でバックアップすることとなった。
ワークスチームは前回とほぼ同じメンバーであり、マシンの中味はユーザーチームと同程度であった。
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三菱 |
新発売のコルト1000をフルチューンした。
三菱のレーシングエンジンをチューニングテクニックの基礎がつくられた。
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東洋工業 |
キャロル360/600のエンジンをチューンし、360で30馬力以上、600で45馬力以上にパワーアップさせた。
ドライバーは2輪ライダーだった片山義美をスカウトした。
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富士重工 |
前回で、スズライトフロンテに惨敗を期して、どうしても雪辱しなければならないと全社をあげて取り組んだ。
18人編成のプロジェクトチームを作り、本格的なチューニングにかかって36馬力へパワーアップさせたスバル360レーシングを導入した。
最高速度137km/h、0→400mが18.4秒の高性能を誇るまでになった。
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本田技研 |
前回は出場していなかったが、今回はホンダS500/S600を発売したばかりだったので、これをチューニングした。
S600は631ccにまでボアアップし、パワーもノーマルの57馬力→72馬力となっていた。
F1世界選手権への参加も正式に表明し、契約ドライバーのロニー・バックナム、北野元、永松邦臣のグランプリライダーおよび社員を起用して参加。
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日野 |
コンテッサ900をチューンし、軽量化を図り戦闘力の増強に努めた。
このメーカーだけがオープンにテストやトレーニングを行い、楽しく自動車レースを行う雰囲気だった。
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鈴木自工 |
前回と同じく4台体制で臨んだ。パワーアップに重点を置かれてチューニングを施し、エンジン出力も前回27馬力→37馬力へと大幅に向上されていた。
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