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第2回日本グランプリ/後編
第2回日本グランプリ自動車レースが開催されたのは、昭和39年(1964年)5月2日・3日の 両日で、第1回と同様に鈴鹿サーキットで行われた。

JAFトロフィーレース

メインレースのJAFトロフィーレースはフォーミュラーカーレースだったが、注目すべき なのは国産フォーミュラーカー3台が参加したことであった。105マイルクラブが日野自 工の援助を受け、コンテッサのパーツを利用してクラブ員がフォーミュラーカーの写真やレ イアウト図面を参考に、全て手作りで完成させたのであった。こうして作り上げた「デル・ コンテッサ」は、外国の強豪に混じり見事走りきったのであった。

デル・コンテッサ

T−Tレースはスバル360の大久保力・小関典幸のコンビで1−2フィニッシュを決めて 前回の雪辱をはらした。T−Uレースはパブリカが浅野剛男・細谷四方洋・北原豪彦と1〜 3位を独占、付き合いで出たキャロル600は片山義美の健闘で4位入賞を果たした。

T−Tレース

T−Vレースはコルト1000が実力を発揮し加藤泰平・横山徹・石津祐介らにより1〜4 位を独占、T−WレースはブルーバードSSを駆る田中健二郎・鈴木誠一・服部金蔵・津々 見友彦以下12位までを独占、T−Xレースはスカイラインの独断場で生沢徹・杉田幸朗・大 石秀夫・砂子義一以下8位までを占め、T−Yレースもプリンスグロリアが杉田幸朗・大石 秀夫のコンビで3位の式場壮吉のクラウンを退けた。

T−Vレース

GT−TレースはホンダS600とマルコスGTの直接対決となった。木製フレームで車重 が400kgを切る1000ccのマルコスGTと、600ccで600kgのホンダS600とで は、マルコスのスターティングペナルティにより、2位でゴールしたバックナムが繰り上が りで優勝となった。GT−VレースはジャガーXKEのオンパレードとなった。

GT−T

最もレースを沸かせたのは、5月3日第2レースのGT−Uレースであった。今や伝説とな ったポルシェ・カレラ904とプリンス・スカイラインGTとの2リッター同士の対決であ る。トヨタチームに在籍する式場壮吉がポルシェ・カレラ904を購入して出場したため、 このクラスに競技車両を持たないトヨタ自工が、ニューモデルのスカイライン1500の宣 伝効果を打ち消すため外車を優勝させようとポルシェ・カレラ904を購入し式場に与えた という噂が流れ、このレースを一層盛り立てていた。

ポルシェ・カレラ904

式場のポルシェ・カレラ904は、5月1日の公式予選で予選2回目に第一コーナーでクラ ッシュし、フロントを大きく破損してしまった。それに比べプリンスチームが生沢・砂子両 選手が1−2位を占めた。本選となりスターティンググリッドにこの2台が就くが、予選3 位となった式場のグリッドはしばらく空いたままになっていたが、やがてフロント部分に傷 を残したままのポルシェがグリッドに就いた。たまたま決勝レースが3日目だったため、名 古屋に持ち帰って2日間徹夜で修理に当たり、ようやく本選に間に合ったのである。

スターティンググリッド

シグナルが赤から青に変わり、全車一斉にスタート!最初にコーナーに飛び込んだのは、ポ ルシェであった。やはり、本格的GTカーと、急こしらえのセダン改造車であるスカイライ ンGTとでは、パワーウェイトレシオの関係からもポルシェに分があったようである。

衝撃的な瞬間@

徐々にしかも確実にスカイラインGTを引き離していった。ところが、7周目にスカイライ ン神話の始まりとなったトップ交代劇が起きた。式場のポルシェが周回遅れになる最後尾グ ループに追いつき、安全に抜くためにスローダウンしたところに生沢のスカイラインGTが 追いついてきたのであった。実は式場と生沢は大の親友であって、レース前の約束で「もし 追いつけたら、1回だけ前を走らせてくれ」という親友ならではの口約束があったといい、 その約束を式場は守り生沢を先に出したのだが、そうとは知らない大観衆はスカイラインG Tがポルシェ・カレラ904を抜いたと大騒ぎになったのである。その後約束を果たした式 場は再びトップとなり、12周目に生沢を抜かして2位となった砂子のスカイラインGTに10 秒の大差をつけて、期待されていた優勝を遂げたのである。

衝撃的な瞬間A

しかし、このレースでスカイラインGTの人気が上がり、当初はホモロゲモデルだけだった この派生モデルが正式に発売となり、ここにスカイライン伝説が始まったのである(詳細はプ リンスの伝説をご覧ください)。
この第2回日本グランプリでは、プリンスがこのスカイラインとグロリア、トヨタがパブリカ 、ニッサンがブルーバード、ホンダがS600、三菱がコルト1000、スバルが360が各 クラスを制し、ここに全メーカーが取り組んだ史上最大のレースは幕を閉じたのである。

参考文献:「日本モーターレース史」(且R海堂/昭和55年7月発行)