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日産との合併〜その後


日産自動車との合併後の広告(日産HPより)

昭和30年中期、好景気に支えられ業績が向上していた自動車業界が、乗用車の値下げや販売合戦の 激化による販売管理費の増加と、昭和39年初頭からの金融引締政策に伴う需要の鈍化により、 収益低下=業績悪化に見廻れた。
そこで、政府は1966年(昭和41年)より企業合併および設備統合を行う 企業への法人税の軽減を提唱した。
そして、自動車業界を所轄する運輸省の主導のもと、プリンス自動車と日産自動車の合併(正式には日産が プリンスを吸収合併する)が行われた。

両者の正式合併期日は1966年(昭和41年)8月であった。合併以後メーカー名としてのプリンスは消えてしまい、プリンスの名は営業の1部門としてのみ残るだけであるが、 しかし、その設計思想はスカイラインR33をはじめとして多くの車と、我々の心の中に脈々と生き続けている。

この後、同年10月にはトヨタ自動車と日野自動車 とが、同年12月には富士重工業(スバル)といすゞ自動車との業務提携も行われたのである。


日産スカイライン/C10

プリンスと日産が合併する以前から、プリンスは次期スカイラインの計画が桜井真一郎氏を中心としてすすめられていた。 合併後に両社が開発中のプロジェクトを整理するための会合が持たれたとき、プリンスはこの新型スカイライン計画を実行 に移すべく持っていったのはいうまでもない。その後ニッサンスカイライン(愛のスカイライン/ハコスカ)が誕生するので ある。その後R380のエンジンをデチューンしたGT−Rが発売され、レース史上に残る不滅の50勝を挙げたのである。
プリンスの技術力は、日産本体にも影響力を与えた。特にエンジンでは隠れた名機といわれたG15型が新型スカイライン に搭載されたのを始めとして、ボアアップしたG18型やG20型が初代ローレルC30や3代目グロリアPA10にも搭載 された。


日産クリッパー

1952年に発売されたプリンストラックの後継車種として、1959年に発売されたのがプリンス・クリッパー。
特徴のあるフロントグリル(ラジエータグリルがなく、楕円形の穴が2列上下に3つずつ並んだデザイン)で親しまれ、現在ではスポーツ車に採用されるノンスリップデフを最初に採用したのもクリッパーであった。
十文字グリルはプリンスの伝統で2代目も同様のグリルデザイン。キャブオールの姉妹車となった3代目となっても踏襲された。


初代ローレル/C30

1968年4月、日本初の「ハイオーナーカー」として初代ローレルが誕生。
どことなくスカイライン(GC10)やブルーバード(510)とスタイリングが似ているところがあるのは、その当時の日産のデザインの主流ということだろうか。
私の頭の中ではCMの「♪ゆっくり走ろう〜、おぉローレル〜」というフレーズが残っている。
しかし、特に2代目からは中古の相場もスカイラインり安く部品がスカイライン系と共通だったため、改造車のベースとなっていった(棺桶ローレル)。


3代目グロリアPA30

日本で最初に4灯ヘッドランプを採用したのがプリンスグロリアと兄弟車だったスカイラインであるが、曲線が美しかった2代目から直線基調の3代目にチェンジ。
3代目グロリアは、日産と合併後のデビューだったが、すでにプリンス陣営での開発が終了していたため、エンブレムのみニッサンにして発売された。
エンジンは発売当初はプリンス製エンジン(G型4/6気筒)が積まれたが、マイナーチェンジでL型に変更された。
4代目からは日産の高級車であるセドリックと統合され、兄弟車としてその道を歩んだ。


ニッサンプリンス・ロイヤル

1967年より日産自動車(日産自動車に吸収合併される以前の旧・プリンス自動車)が製作した御料車である。
日本では数例しか新造例がないリムジンでもある。型式名、S390P-1。
当時、宮内庁が自動車工業会へ国産リムジンの開発を諮問、当時の皇太子(今上天皇)がプリンス自動車の乗用車であるスカイラインやグロリアを愛用し、宮内庁と車両納入で密接な関係にあったためプリンス自動車が1965年より開発を担当。
完成時は日産自動車に吸収合併された後であったので車名は「日産・プリンスロイヤル」となった。


開発にあたり、各メーカーの枠を超えた協力体制でほぼ純国産技術で完成させた。
車体はグロリアをベースとした縦目4灯デュアルヘッドライトのデザインである。
市販はされず、宮内庁と外務省に7台が製作されたのみで、後年1台が霊柩車対応のワゴンに改造されている。

参考文献:ネコパブリッシング「JAPANESE HISTORIC」
:グランプリ出版「自動車の世界史」ほか
資料協力:Air Modellers Club コックピット
写 真:(社)自動車工業会自動車図書館